距離を取るという行為は、
しばしば冷たさとして受け取られる。
関わらない。
踏み込まない。
深く語らない。
それらは、
無関心や拒絶のサインだと
解釈されやすい。
けれど、距離を取ることと、
関係を断つことは、
本来同じではない。
距離とは、
関係を終わらせるためのものではなく、
関係を雑にしないために
調整される余白でもある。
近づきすぎると、
相手を理解したつもりになってしまう。
語りすぎると、
分かったふりが始まる。
関与しすぎると、
相手の輪郭を
自分の解釈で塗り潰してしまう。
距離を取るという選択は、
そうした乱暴さを避けるために
選ばれることがある。
そこには、
逃げたい気持ちよりも、
誠実でありたいという判断が
含まれている。
距離を測る人は、
関係を軽く扱わない。
だからこそ、
不用意に近づかない。
沈黙を選ぶのも、
離れるのも、
相手を切り捨てたいからではなく、
その関係が
どの位置で成立しているのかを
見誤らないためだ。
距離があるからこそ、
相手を
自分の期待の中に
閉じ込めずにいられる。
理解し合えない部分を、
無理に埋めようとしない。
同じ場所に立てないことを、
失敗だと決めつけない。
距離を取ることは、
関係を冷却する行為ではなく、
関係を保留にするための
温度調整に近い。
近づくことだけが
関わりではない。
同じ場所に立たないという選択もまた、
ひとつの関わり方であり、
相手を尊重する態度である。
距離を取る人は、
人を信じていないのではない。
むしろ、
関係が壊れやすいことを
知っている。
だからこそ、
不用意に触れない。
不用意に語らない。
不用意に近づかない。
距離は、
拒絶の証ではなく、
関係を雑に扱わないための
静かな線引きなのだと思う。
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Raffinē
内側の美と、思考の記録。